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佐渡島に古くから伝わる伝統的お菓子 おこし型

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佐渡汽船にみる佐渡の現状と明るい未来sadokisen


 佐渡を佐渡島民に語らせると、まず出てくるワードが佐渡汽船。個人的に好きな汽船会社なのですが、島民の不満は意外と多いようです。でも少しずつ改善されてきていますし、良い面もたくさんあります。

私目線の佐渡汽船のリッチな歴史
 私の子どもの頃は、佐渡はまさに夢の島でした。黄金の島ではなくなっていたのですが。今よりも人口は多かったです。観光客もさることながら、お盆の時期には島から旅立っていった元島民の帰省ラッシュは本当に凄かったです。私もその子どもなので、毎年毎年佐渡に帰っていました。
 景気も良かったこともあり、佐渡汽船の勢いはすごいの一言。多少の荒海なら突破してしまう高速船「ジェットフォイル」を1977年日本で初めて投入しました。子供心にすごいものができたものだ、と思っていました。
 車で帰省する人が非常に多くお盆時期には慢性的にカーフェリーチケットの入手が困難になるに伴い、大型船を次々に投入し始めます。実はカーフェリーはそれほど歴史があるわけでもなく、佐渡汽船では1967年就航の「さど丸」が最初でした。なので私が記憶にある1980年頃ってまだまだカーフェリーって新しい概念だったんですね。佐渡丸は全長49.05mで578トン。速力12.1ノット。非常に小さく速力もありません。この船は平成4年まで運航されますが私は乗ったことがありません。
 私が最初に乗ったのは、初代おおさど丸。昭和44年就航だったので既に老朽化が始まっていました。全長75.34mと過去の佐渡汽船の中では非常に大きく1865tもありました。既に直江津航路に回されていましたが、車をぎゅうぎゅう詰めに案内し誘導する佐渡汽船クルーを憧れのまなざしで見ていました。
 私が物心ついたときには、既にカーフェリーの大型化は留まるところを知りませんでした。昭和47年にこがね丸、昭和48年におとめ丸が新潟航路に就航。この2隻は3000トンを超え全長も100mくらいとおおさど丸に比べても非常に大きくなっていました。デザインも非常に良く内装も良かったので憧れましたね。
 当時、直江津航路は、先ほどのおおさど丸とえっさ丸の2隻体制でした。おとめ丸、こがね丸には劣りましたが、甲板にゲームコーナーがあったり飲食コーナーも子供心をくすぐるものもあり楽しめました。今からは考えられないくらい、直江津小木航路は人気がありました。
 ちなみに、新潟両津航路のカーフェリーは最新鋭が投入され、次の船が投入されると直江津小木航路に行くというのが当時の流れであり、フェリーの急激な大型化にともない、港はいつも工事している感じで、しばらくするとまったく違う姿になっていたりもしました。この流れは巨大化しすぎて直江津小木航路の限界を超えてしまったおおさど丸が、新潟両津航路で引退するまで続きました。
 個人的に衝撃的だったのが昭和58年就航のこさど丸です。全長119mと更に大型化したうえ、内装(特にエントランス)が豪華で写真写りが良かったので人気でしたね。ジェットフォイルも多数運航し、本当に華やかな時代でした。このあと平成3年にピークを迎えるまで更にヒートアップしていきます。
 こさど丸の3年後に、2代目おおさど丸が就航します。果たしてこの後の人口減は読めていてもバブル崩壊までは読めなかったと思います。思いっきり巨大化して全長131.9m。設備も豪華でしたが、後にこの大きさに苦しむことにもなります。
 平成になると私も毎年佐渡に渡らなくなります。新しいジェットフォイルが就航したり、寺泊航路に3代目えっさ丸が投入されたりしました。そして2017年現在も活躍する真打ち「おけさ丸」が就航します。おおさど丸より大きい全長134.7m。大型化だけでなく、船体の設計により揺れを軽減する機能の優秀なものが搭載されることにより、劇的に揺れが少なくなりました。おおさど丸と比べても歴然でした。荒海のことが多い海峡ですから、これは非常に歓迎されました。ただでさえ大型化して揺れにくくなっていたところにこのような高性能な船が投入されたわけですから、これから小型化していく過程で、おけさ丸より揺れてしまうのは仕方がないことなのですが、そのことも後に苦しむ一因となります。
 おけさ丸の就航で、直江津もこさど丸が直江津に回りますが、さすがにおとめ丸も老朽化してきたので、直江津小木航路に、3代目となるこがね丸が就航します。120.5mとこさど丸より長い船ですが、おおさど丸、おけさ丸よりは小さいです。しかしひたすら大型化してきた佐渡汽船もここから大型化はしなくなります。もっともおおさど丸やおけさ丸は、小木港には入れない大きさですので仕方がないのですが。
 あれだけ豪華に新造船を投入してきた佐渡汽船もバブル崩壊や人口減などで平成3年をピークに乗客は減少の一途に。そうなると船を置き換えるわけにもいかず老朽化していきます。大きな船はそれだけ経費がかかるわけで、経営も圧迫していきます。
 さて航路ができて以来一度も黒字化を達成していない、寺泊赤泊航路も見直しを迫られカーフェリーを廃止し、小型の高速船あいびすを投入します。約1時間で到着できることで当初は評判も良かったです。一時的に乗る人も増えました。しかしそもそも小型であることと、揺れを軽減する装置もつけていなかったことから、非常に揺れやすく欠航も相次いだため、次第に支持を失っいきました。
 直江津小木航路も乗客数が激減し、こさど丸の老朽化もあり、こがね丸1隻体制に移行しました。このことは島民、観光客の利便性を大幅に損ね、更に乗客数が減少していきます。この時期になると私も新潟航路へ回ることが多くなりました。仕方がありません。
 そして決定的な事件が起こります。そう、おおさど丸の大きなトラブルです。2010年8月11日、部品が損傷し航行不能になり、修理のため運休を余儀なくされました。なにしろ一年で一番忙しい時期に主力の1隻を失ったわけで大混乱でした。ちなみに私はおおさど丸が故障する頃、直江津からこがね丸で小木に渡っており、その事故を知らずに上陸しました。そして帰りの切符はおおさど丸・・・。つまり帰れません。つまりこのトラブルに巻き込まれたことになります。
 しかし佐渡汽船はこのトラブルを、おけさ丸を一日四往復という神がかり的な運航、ジェットフォイルを増発などで乗り切ろうとしました。。直江津小木航路もこがね丸を増発しました。しかし予約がおおさど丸だったカーフェリー客は混乱し、私のように佐渡滞在1日以内という非常に短い滞在時間で帰らざるを得ない人もでました(増便のこがね丸で帰りました)
 これを受けて、佐渡汽船は新造船を企画。平成26年にときわ丸という素晴らしい船を就航させました。非常に洗練されたデザインで観光客には人気が高かったのですが、おけさ丸ほど揺れ防止の性能が高くないといわれ、荒海時などは、おけさ丸のほうがいいな、という人もいます。もっともおけさ丸以外に対しては劣る部分は少ないので今後益々活躍していくと思います。
 慢性的な赤字航路で寺泊赤泊よりもはるかに赤字が大きい直江津小木航路も廃止を含め議論されましたが、北陸新幹線の開通にあわせ、高速カーフェリーのあかねを投入しました。高速なので、一日2往復が可能であり、カーフェリーと同等の車両運搬能力があることから、国内では珍しい輸入船となっています。どうしてもおけさ丸が優秀なので仕方がないのですが、やはり揺れが気になるという客が多くいます。これは全席指定のイス席の影響でもありますが、そもそも日本海。古くから海を渡っている人からすれば・・・ですからね。良い時代になったようで、人の慣れとは怖いもので不平不満が溜まってしまうものです。

どれくらい利用客が減っているのか?

   旅客数 備考  主な船 
2016(H28) 150万人  最新データ ときわ丸
おけさ丸3
あかね
2011(H23)  162万人  おおさど丸故障の翌年 おけさ丸3
おおさど丸2
こがね丸3
2006(H18) 197万人   昭和46年以来の200万人割れ おけさ丸3
おおさど丸2
こがね丸3
こさど丸
2005(H17)  204万人  アイビス就航  おけさ丸3
おおさど丸2
こがね丸3
こさど丸 3
1991(H3) 316万人  ピーク  おおさど丸2
こさど丸
おとめ丸
こがね丸2
      ※数字は代目
を示す

平成3年にピークを迎えましたが、その後ジリジリと減少の一途に。14年後、船の陣容は、おけさ丸とこがね丸が変わりましたが、おおさど丸、こさど丸は老朽化してきました。ちなみにここで100万人も減っているのです。そのあと10年ほどで更に50万人減っているので、いろいろ影響がでないほうがオカシイです。これは佐渡の魅力が減ったというより、他の要因も多いです。さて、航路毎の影響はどうだったのでしょうか?

   新潟両津 直江津小木  寺泊赤泊 
 2016年(H28)  133万人 15万人 2万人 
 2006年(H18)  163万人 30万人  6万人 
 1991年(H3)  254万人 56万人  5万人 

 新潟両津が52%、直江津小木は27%、寺泊赤泊は40%まで減少しています。数値の取り方で印象は大分違うと思うのですが、新潟は黒字路線といえども半減、直江津は約1/4、寺泊は4割・・・といずれも激減しているのです。特に直江津は・・・寺泊赤泊航路の廃止が提案されていますが、赤字額は直江津小木のほうが多いですし減少幅も多いです。航路だけの問題でなく、佐渡全体の問題、というのがわかると思います。
 このところ新造船ラッシュですが、その効果はでているのでしょうか?

まず、最新のあかね。
 2014年は13万人でしたが、就航した2015年は18万人まで増えました。しかしながら他の航路から客を奪う部分もありました。元々、佐渡に行く予定だった人、佐渡から新潟に行く人が、新潟航路ではなく、新しい船に乗りたいのであかねを選んだ、ということも多かったのだと思います。しかし新造船ブームは長くは続かず、また揺れや欠航などの影響もあったのか、2016年には15万人に減少しています。それでも就航前よりは多かったのですが、これでは効果がなくなり再び減少になるには時間の問題でしょう。
 2014年のときわ丸は?前年は新潟航路全体で163万人、それに対し就航の年は158万人となんと現象しています。その他の要因もあったとはいえ、船の評判が高かったのに意外な結果です。翌年はあかねの就航で更にフェリーだけでも3万人も減少しています。そして影響がなくなった2016年にも更に3万人ほど減っています。今となってはあかねで下げ止まった直江津航路より、新潟の対策のほうが重要に思われます。

このようなデータを見る限り、あまり好転する内容はありませんね。特に人口減著しいわけで、島民などの利用はこれから増える見込みは薄いです。観光に躍起になっている理由がわかりますね。

それでも明るいと言い切れる理由
 それでも非常に明るい未来が待っていると私個人は思っています。子供の頃から見続けてきたから評価が甘いのでは?と思うかもしれません。ただ最近は親戚づきあいとかではなく、純粋に佐渡の観光地を訪ねてみて改めて感じた印象です。

1:船が最新鋭にリプレイスされたこと
2:佐渡金山が素晴らしく変貌していた
3:飯が美味しくなった(宿関係。私は知らなかったがそうらしい。元々美味しいと思うのだが)
4:道路が整備されて運転しやすくなった
5:夏以外の魅力が高く、年中楽しめる島となった
6:各エリアの観光エリアを一度に回るのが難しく気に入ればリピートしてもらいやすいこと
7:島民向けの店も本土のものが大分出店してきて買い物しやすくなってきたこと
8:日本は通販が発達しているので、そもそも物の入手に困らない
9:基本的に島で何でもあること。この巨大な島のポテンシャルは偉大
10:佐渡市が定着してきたこと。一体感がようやく出てきたように感じる

 上記以外に景色は本当にいいですし、観光名所も揃っています。昔は道路が劣悪だったので一回行ったら懲りた人も多かったようですが、今はそんなところは少ないです。夏の帰省客が減ったことでお盆休みに旅行に行くことも楽になりました。今回の帰省でそれは確信しましたね。最近佐渡に帰っていない人たちにも知らせておきます。島民の暮らしも大分変わって来ています。私が子供の頃とはエライ違いようで・・・。

 佐渡汽船のデータは、ある意味カーフェリーができたことに、佐渡で戦後生まれた人たちが、続々と佐渡から離れ、自家用車の普及し、帰省ラッシュが大規模になり、佐渡〜新潟を渡る人が激増した一因であることを証明するものです。それが一時的なものであって永遠に続くものではないことは誰の目にも明らかです。次々に大きな新造船を投入すること自体がおかしなことです(必要だったのだから仕方がありませんが)。なので、佐渡がおかしいとか、魅力が薄くなったとか、佐渡汽船が悪いとか、悪い理由を探す必要はまったくありません。気にせず、これからどうやって島民を増やし、観光客を増やすか?考えればいいだけです。
 幸い東京と違って土地はたくさんありますし、観光資源も無限にあります。特に相川地区、佐渡金山は非常に魅力的に整ってきています。若い人にも受けるSNS映えするコンテンツは本当に多くあります。暮らしやすさをアピールできれば移住してくる人も増えると思います。
 離島の怖さは船の欠航が一番大きいと思いますが、佐渡汽船と新潟両津航路という日本海でも非常に欠航率の少ないルートをもっているわけで、それほど怖いわけではありません。ネットもあれば、携帯電話もだいぶ通じます(以前は大きく圏外がありましたが、今年の夏は不便をあまり感じませんでした)。
 この連載では、悪い部分は隠さず、良い部分をもっとアピールして行ければ、と思っています。前半の連載が若干暗くしたのは、後半明るいネタをもっているからです。飽きずにお付き合いいただければ、と思います。

※この記事を書いたときより、かなり状況は悪化してきています。ただし佐渡金山が世界遺産化すれば・・・とか希望も見えてきています。

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